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      <title>ネーミングの世界</title>
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      <description>物は知ってるけど名前は知らないものがたくさん</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2010</copyright>
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         <title>欧州の名家「ホーエンツォレルン」その１</title>
         <description>人類史上初の総力戦となった第1次世界大戦。終わってみれば、ヨーロッパから3つの帝国が姿を消していた。

ロシアのロマノブ朝は多大の混乱と流血を伴う革命によって打倒され、オーストリア=ハンガリーは多民族国家であったがゆえの宿命からか小国家群に分裂、そしてドイツ帝国(第2帝国)も水兵の反乱をきっかけとする革命によって倒されるという具合に。

ドイツ帝国は成立してからまだ半世紀あまりしかたっていなかった。

ドイツ帝国はホーエンツォレルン家のプロイセン王ヴィルヘルム1世(1797～1888年)にはじまる。

同家はもともとドイツ南西部シュワーベン地方の貴族の出で、ツォレルンの丘という場所に本城があったことから11世紀にこの家名が生まれたといいます。</description>
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         <pubDate>Tue, 17 Aug 2010 17:29:00 +0900</pubDate>
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         <title>欧州の名家「ロスチャイルド家」その３</title>
         <description>1875年ロスチャイルド家は大英帝国の運命を左右する買収劇に一役買うことになる。

買収の対象はスエズ運河管理会社の株式。ときの首相ディズレーリはエジプト政府が財政難から持株を売ろうとしているとの情報を入手したものの、国会が閉会中で国庫からの支出ができない。

そこでロスチャイルド家に全額立て替えをしてもらったのである。一躍筆頭株主となったイギリスはこれをきっかけにエジプトという戦略拠点を獲得しました。

インドをはじめとする東方植民地との連絡がより早くより確実になったことで、大英帝国は繁栄の絶頂期を迎えることになります。

ロスチャイルド家がもし融資をしなかったなら、大英帝国とヴィクトリア時代の輝きももう少し裾せたものになっていたかもしれません。
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         <pubDate>Sun, 01 Aug 2010 17:28:37 +0900</pubDate>
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         <title>欧州の名家「ロスチャイルド家」その２</title>
         <description>ロスチャイルド家はフランクフルトで両替商を営んでいたマイヤー・アムシェル(1744～1812年)がヘッセン伯の寵を得てからというもの、宮廷銀行家として急速な台頭をみせる。

ナポレオン戦争中ロンドンにも拠点を設け成功を収めたのをきっかけに、マイヤーの5人の息子がフランクフルト、ロンドン、パ
リ、ウィーン、ナポリにそれぞれ居をかまえ、国境を越えた独自の情報網を築きあげていった。

この情報網は1815年6月のワーテルローの戦いの際いかんなく発揮される。ロンドンでいち早く対仏同盟軍勝利の報に接したネーサン(三男)は迅速な取引決済によって莫大な利益をあげ、国際的金融業者ロスチャイルドの名を広くヨーロッパ中に知らしめたのだった。
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         <pubDate>Sun, 18 Jul 2010 17:27:56 +0900</pubDate>
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         <title>欧州の名家「ロスチャイルド家」その１</title>
         <description>「―イエス殺し。」これは2000年来ユダヤ人たちの身の上に被せられつづけてきた汚名です。ヨーロッパのキリスト教世界ではこれだけでも充分ユダヤ人を迫害する理由になることも少なくありませんでした。

1179年、1215年の第3回、第4回ラレラノ公会議の決定により、キリスト教徒とユダヤ教徒との交際、ユダヤ教徒がキリスト教徒を使用人とすることなどが禁止されるが、これは事実上ユダヤ人を農業から締め出すことを目的としたものに他ならない。

ユダヤ人は自由財産としていかなる土地も所有してはならないという法令も各地で出され、許される職業はどんどん狭まっていく。

残されたのはキリスト教徒が嫌悪するものばかりで、その代表的なものが金融業だった。ユダヤ人金融業者で最も名高いのがロスチャイルド家である。
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         <pubDate>Sun, 04 Jul 2010 17:27:35 +0900</pubDate>
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         <title>欧州の名家「ブルボン家」その４</title>
         <description>地方監察官の権限を大幅に強化させ地方貴族や、都市の自治権を侵犯するなど、その矛先は中央地方を問わずあらゆる潜在的敵対者に向けられていいきました。

一連の改革によって国王とブルボン朝の権威はいやがうえにも高まっていくが、絶え間ない対外戦争が財政の逼迫を招き、治世後半には絶対王政に対するさまざまな不満がかたちとなって現われてくることになります。

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         <pubDate>Wed, 16 Jun 2010 17:27:08 +0900</pubDate>
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         <title>欧州の名家「ブルボン家」その３</title>
         <description>王権は神から直接与えられたもので、国王は誰の同意も必要とはせず自由に法をつくり、自由に解釈を施し、廃棄することができるという王権神授説が強く説かれている。

フランス絶対王政はルイ14世(在位1643～1715年)の代に確立されたといって過言ではない。1661年に宰相マザランが没して親政が開始されると、ルイはまず手始めに宰相制を廃止。

次には高等法院の権限を大幅に抑えたほか、国政の中心機関である国務会議から王族や大貴族を締め出し、代わりに新興貴族のなかから有能な者を選びこれに当てた。
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         <pubDate>Wed, 02 Jun 2010 17:26:38 +0900</pubDate>
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         <title>欧州の名家「ブルボン家」その２</title>
         <description>カペー朝が断絶すると同家のアンリ4世(在位1589～1610年)が即位、ブルボン朝初代の国王となる。

アンリによって1598年にナント勅令、1604年にはポーレット法が発布されるが、これはそれぞれカトリックとユグノー(カルヴァン派)の融和、貴族政治の打破を目的としたものであり、絶対王政の基礎づくりに欠かせぬ役割を果たすものでした。

次のルイ13世は宰相リシュリューと力を合わせ、地方監察官制度の拡充や課税の強化など一連の強権政治によって絶対王政化を推し進めていいきます。

1632年に法服貴族のカルダン・ル・プレによって上梓された『国王の主権について』も両人の意向を受け著わされたものである可能性は高い。</description>
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         <pubDate>Sat, 15 May 2010 17:26:15 +0900</pubDate>
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         <title>欧州の名家「ブルボン家」その１</title>
         <description>右手には王笏を下に向けて持ち、身には毛皮のローブをまとう。その下に身につけるのはまばゆいばかりの太陽をデザインしたバレエの衣装です。

フランス史を扱う書でしばしば目にするルイ14世の姿である。「太陽王」の異名はこの衣装に由来します。

彼は絶対王政を確立させブルボン朝の最盛期を現出させた英主だが、その出自であるブルボン家というのがまた長い歴史を有する名家でした。

ブルボン家はブルボネ地方の古い領主の家系。同家の女性相続人とカペー朝のルイ9世の第6子クレルモン伯ロベールとの問に生まれたルイが1327年にブルボン公家を創設した。

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         <pubDate>Sat, 01 May 2010 17:10:32 +0900</pubDate>
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         <title>避暑地･･･軽井沢駅～JR東日本　信越本線3</title>
         <description>明治19年(1886)にこの地を訪れて内外に紹介し、以来大正のはじめ頃には1000人以上の外国人が夏になると滞在していたという。

駅の並びにはかつて碓氷峠の1000分の66.7という日本一の急勾配で活躍したドイツ製アプト式電気機関車EC40が展示されている。
また駅頭の溝のふたにはアプト式のラックレールが利用されている。

碓氷峠の軽井沢～横川間は長野オリンピックにむけて建設した北陸新幹線が開業し、廃止されることが取り沙汰されている。</description>
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         <pubDate>Tue, 13 Apr 2010 15:48:37 +0900</pubDate>
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         <title>避暑地･･･軽井沢駅～JR東日本　信越本線2</title>
         <description>この軽井沢に鉄道が開通したのは明治21年(1888)12月1日。
「汽笛一斉」の新橋～横浜間が開通してからたった16年で信州の高原にも鉄道がやってきたのだ。

それというのも太平洋岸と日本海岸を結ぶ列島横断路線の難所、軽井沢ー横川間の碓氷峠工事の資材を運ぶために直江津から急ぎ建設されたもので、この碓氷峠が開通し信越線が全通したのが明治26年(1893)のこと。

避暑地として軽井沢に注目したのはイギリス人宣教師アレキサンダー・クロフト・ショウ。</description>
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         <pubDate>Sat, 03 Apr 2010 15:48:01 +0900</pubDate>
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         <title>避暑地･･･軽井沢駅～JR東日本　信越本線</title>
         <description>ジョン・レノンも好きだったという軽井沢。
現在の軽井沢駅は大正元年(1912)に二代目駅舎として建築された。
当時の洋風駅舎に共通の高い天井と大きなタテ長窓を持つ木造建築で、全体にのびやかな雰囲気を持つリゾートの駅となっている。

二階のボリュームのある寄せむね部分にはかつて貴賓室があり、今でも向かって右手には優等乗客用の待合室に使われた扉も残っている。

建築当初は左右に妻入り扉を従えたシンメトリーの建物だったが、現在は左側が建て増しされ全体の様子は変わっている。</description>
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         <pubDate>Tue, 23 Mar 2010 15:46:30 +0900</pubDate>
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         <title>裁判所のあのトンカチ</title>
         <description>裁判所にあるあのトンカチのような物の名前は？

裁判所で裁判官が、「静粛に！」などと言って机の上にあるトンカチのようなもので小さな丸い板を叩いていますよね。
あれは何なの？</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">マニアック</category>
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         <pubDate>Sat, 13 Feb 2010 17:46:51 +0900</pubDate>
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         <title>数取器</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://the-buying-centre.com/images/855858.jpg"><img alt="855858.jpg" src="http://the-buying-centre.com/images/855858-thumb.jpg" width="199" height="211" /></a>

よく人数をカウントする時に使うあの銀色のものは何ていう名称なのでしょうか？

片手で握れて指で押すと人数をカウントできるやつです。

そのままカウンターとも言うらしいです。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">そこそこ知ってる</category>
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         <pubDate>Wed, 13 Jan 2010 18:17:39 +0900</pubDate>
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         <title>スキッド</title>
         <description>ヘリコプターの着陸する時に地面に接する部分の名称って・・・・・？

あれはスキッドといいます。
これは、降着装置の一つで、他に車輪式があります。

車輪式と比べ、スキッド式の利点は、さまざまな接地面に着陸することができ、構造が簡単で軽量なんだとか・・・。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">マニアック</category>
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         <pubDate>Sun, 13 Dec 2009 21:02:00 +0900</pubDate>
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         <title>日本海</title>
         <description>「日本海」という名称は、日本列島が太平洋を分断することによって成立しているというその海域の性格にぴったり。
日本列島がなければ、そこはただの太平洋で、名前を付けるべき海域は存在しないのです。

にもかかわらず、韓国は、「日本海」という名称は誤っており、「東海」(East Sea) に戻すべきだと主張しています。この East Sea というのは、「東海」(トンへと読む) の英訳。
この海域が、日本から見て東、ロシアからは南に位置するにも関わらず「東海」です。韓国側は、「複数の国が接する海を一国の名前を関して呼ぶのは不当で、そんな呼び方をするのは日本海だけだ」と主張。
その主張がでたらめであることはすぐにわかります。インド洋、ノルウェー海などが存在し、何よりも日本と韓国の間の海峡が、国際的には Korea Strait と呼ばれている。 

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         <pubDate>Fri, 13 Nov 2009 20:54:19 +0900</pubDate>
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